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王通 (陳)[おう とう] 王通(おう とう、503年 - 574年)は、南朝梁から陳にかけての政治家。字は公達。本貫は琅邪郡臨沂県。 == 経歴 == 王琳と義興長公主(蕭衍の妹)のあいだの子として生まれた。はじめ国子生となり、明経に挙げられて、秘書郎・太子舎人となった。帝甥として武陽亭侯に封じられた。王府主簿・限外記室参軍・司徒主簿・太子中庶子・驃騎廬陵王府給事中郎・中権何敬容府長史・給事黄門侍郎を歴任したが、事件に連座して免官された。 侯景の乱が起こると、王通は江陵に逃れ、元帝のもとで散騎常侍となり、太常卿を代行した。侯景の乱のために建康の宮殿は焼尽したため、王通は起部尚書を兼ねて、建康の宮殿の再建にあたった。 554年(承聖3年)、江陵が陥落すると、王通は敬帝のもとで吏部尚書となった。555年(紹泰元年)、侍中の位を加えられた。まもなく吏部を領したまま尚書右僕射となった。557年(永定元年)、陳が建国されると、尚書左僕射に上った。560年(天嘉元年)、文帝が即位すると、太子少傅を兼ねた。566年(天康元年)、翊右将軍・右光禄大夫の位を受け、佐史を置いた。廃帝が即位すると、安右将軍の位を受け、南徐州大中正を兼ねた。569年(太建元年)、左光禄大夫の位を受けた。574年(太建6年)、特進の位を加えられたが、受けないうちに死去した。享年は72。諡は成といった。
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